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歴史研究の日々のよしなしごとについて

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バザールとしての琉球史

このブログとは別に準備していたウェブサイトの方も、ようやく目処がついた。
まだまだ未完成の代物ではあるが、完璧に仕上がるまで公開を遅らせると何時になるかわからないので、取りあえず仮オープンということにしよう。
リンクの項目にも追加しておいたので、暇な方は御覧いただきたい。

こういうものをつくっていると、つくづく自分が「完璧主義」の人間だということを思い知らされる。
もっとも、自分のつくったものが完璧であると言いたいわけでは、もちろん、ない。
「自分のつくるものは常に完璧に仕上げてから出す」のも、「自分のつくるものは完璧に仕上がらない限り決して出さない」のも、「完璧主義」という点では変わらない。
だが、「出す」のと「出さない」のでは全然違う。
当然、「出さない」のでは話は始まらないが、かといってそうそう「完璧」に仕上げることができるはずもなく、大抵はその間でもだえ苦しむことになるのである。

ただ、琉球史研究というものを考えた時―殊に、前のエントリで書いたような多様な歴史的文脈のクロスオーバーをそもそもの常態とする琉球史研究のあり方を考えた時、「完璧」と言えるようなイメージが果たして存在するのかという問題も、一方で出てくる。
あるいは「完璧」に近いイメージを描くことは可能かも知れないが、そのようなイメージを設計図として琉球史を精緻に組み上げていくというのは、やっぱり何か違うような気がする。
いろんな問題意識を抱える人たちが、自分一人ではうまく加工できない「部品」を各々持ち寄って、ああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねるうちに思いがけない大きな「建物」が出来上がってしまった…という方が、琉球史研究としてはよっぽど「あるべき姿」なのかも知れない。

で、タイトルにあるような「バザールとしての琉球史」という話になるのであるが…。
察しのいい方はおわかりかと思うが、ここでいう「バザール」とは、「伽藍とバザール」を念頭に置いている。
リンク先の原文(山形浩生氏の和訳であるが)はソフトウェア開発の話で専門外の歴史学研究者にはややつらいので、一応Wikipediaの「伽藍方式」「バザール方式」へのリンクもつけておこう。
もっとも、そういう話を抜きに、単に「バザール」という言葉のイメージだけでも大体のニュアンスは伝わると思うけれど。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

琉球史 | コメント:2 | トラックバック:0 |
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コメント

先生のwebに私のホームページを取り上げていただき、ありがとうございます。ところで、『中国の友人たち』(「淮安に琉球国使節の墓を訪ねる」)はアドレスが変わりましたので、訂正願えればありがたいです。よろしくお願いいたします。
2011-03-01 Tue 16:11 | URL | 橘雄三 [ 編集 ]
橘さま、ブログの更新頻度が落ちていたせいで、折角御丁寧なコメントをいただきながら、対応が遅れてすみませんでした。先程、御指摘のページ(下欄のURLリンク先)のリンクアドレスを訂正いたしました。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
2011-04-19 Tue 00:31 | URL | おかもと@管理人 [ 編集 ]

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