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歴史研究の日々のよしなしごとについて

今西裕一郎編『九州大学21世紀COEプログラム「東アジアと日本:交流と変容」統括ワークショップ報告書』

正確には抜刷ではないのだが、頂戴した文献ということでとりあえず。

今西裕一郎編『九州大学21世紀COEプログラム「東アジアと日本:交流と変容」統括ワークショップ報告書』九州大学21世紀COEプログラム(人文科学)「東アジアと日本:交流と変容」、2007年2月、233p
 第一テーマ ヒトの移動とイノベイション
  趣旨説明(中野等)
  ヒトの移動と文化変容(田中良之)
  新羅の文人官僚崔致遠のアイデンティティ(濱田耕策)
  モンゴル時代における民族接触とアイデンティティの諸相(舩田善之)
  人の移動・アイデンティティ・ネットワーク(清水宏祐)
  近世日本における非・日本人(中野等)
  技術移転とアイデンティティ―3・4世紀における倭の鏡を対象として―(辻田淳一郎)
  日本古代中世文書の伝来経緯について―中国・韓国・西欧との比較のための予察―(坂上康俊)
  日本中世国家の貨幣発行権(服部英雄)
  海域アジアにおける人の移動と地域秩序―16世紀末のフィリピン貿易をめぐって―(中島楽章)
  質疑・討論(コーディネイター:溝口孝司 司会:舩田善之)

 第二テーマ 東アジア世界の形成と中華の変容
  趣旨説明(川本芳昭)
  漢と匈奴の国家形成と周辺地域―農耕社会と遊牧社会の成立―(宮本一夫)
  いわゆる東夷社会における国家形成モデル(岩永省三)
  鮮卑の文字について―漢唐間における中華意識の叢生と関連して―(川本芳昭)
  日本から見た東アジア世界の変容(佐伯弘次)
  朝鮮における王朝の自尊意識と国際関係―高麗の事例を中心に―(森平雅彦)
  モンゴル帝国の国家構造における富の所有と分配―遊牧社会と定住社会、中華世界とイラン世界―(四日市康博)
  モンゴル人の中国(中華)に対する意識の変遷(明~清)(森川哲雄)
  質疑・討論(司会:宮本一夫・佐伯弘次)

 総合討論
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羽田正「家島彦一著 海域から見た歴史―インド洋と地中海を結ぶ交流史―」

羽田正「家島彦一著 海域から見た歴史―インド洋と地中海を結ぶ交流史―」『東洋史研究』第65巻第4号、2007年3月、pp.83-93
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山崎岳「朝貢と海禁の論理と現実―明代中期の「奸細」宋素卿を題材として」

山崎岳「朝貢と海禁の論理と現実―明代中期の「奸細」宋素卿を題材として」夫馬進編『中国東アジア外交交流史の研究』京都大学学術出版会、2007年3月、pp.222-263
 はじめに
 第一節 宋素卿と朝貢制度
  (一) 鄞人宋素卿
  (二) 寧波事件
  (三) 事件の善後処理と国際社会
 第二節 外夷の向慕と中華の徳義
 第三節 華人越境
 おわりに
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海域アジア史研究会6月例会

海域アジア史研究会・6月例会の案内。

日時: 2007年6月23日(土)13:30~

場所: 大阪大学豊中校舎 文学部棟2階 史学科共同研究室

内容
 岩川拓夫(大阪大学):
 研究報告「16世紀南九州における贈答品」

連絡先
大阪大学大学院文学研究科 東洋史学研究室気付(蓮田)
〒560-8532 豊中市待兼山町1-5


今月は中世南九州にて贈答品として使用された東南アジア産品に関する報告とのこと。
何故東南アジア産品なのか?というところが、恐らく報告の中心になるのでしょうか。

皆様、ふるってご参加ください。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

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GoogleMapsで見た琉球国・鄭文英の墓所

右下のリンクのところにも挙げているが、渡辺美季さんのホームページで最近、琉球史関連の情報がいろいろアップされている。
コンテンツの一つ一つがそれぞれ充実しており、その公開にかかる労力にはひたすら敬服するばかりである。

その中でも、「中国における琉球関係史跡の紹介」などは琉球史の専門家でなくても面白く読めるものだろう。
ここに記されている内容の多くは恐らく渡辺さんが福州に留学中に調査して回った時のものと思われるが、同じく福州での留学経験があるとはいえ、私にはとてもこれほど充実した内容は書けそうにない。
さらに付け足すことのできる情報と言っても微々たるものだが、その中でも多少は役に立ちそうな情報として、現在の江蘇省淮安市にある鄭文英の墓について書いておこうと思う。

明清両朝への朝貢のため、福州から北京に至るまでの道程を往来した琉球使節の中には、中途で命を落とした者も少なくない。
彼らの墓跡はその多くが琉球使節の入貢地点である福州に残されているが、その他の地域に現存している例は非常に少ない。
その中でも比較的よく知られているものが鄭文英の墓跡である。

鄭文英・大嶺親雲上は、朝京都通事に任ぜられて琉球からの朝貢使節に随同し、乾隆五十八年(1793)冬十一月十四日、北京に赴く中途の淮陰の地で客死した人物である。
淮陰の地は、大運河に沿った清代の交通の要衝であり、琉球使節も北京に赴く際には基本的にこの地を経由したと考えられる。
彼の墓所は現在の江蘇省淮安市淮陰区、廃黄河の北岸にある淮陰区図書館(旧淮陰県図書館)の裏手にある。
鄭文英は病没後当地に埋葬され、朝貢のため往来する琉球使節も折に触れて参拝していたものと思われ、蔡汝霖がその墓前で詠んだとされる漢詩が『北燕游草』に納められているという。
現在見ることの出来る墓碑は民国25年(1936)に重立されたものであり、その碑面には

公乾隆五十八年奉使來貢十一月十四日道卒葬
琉球國朝京通都事諱文英鄭公之墓
此原石半缺民國二十五年里人重立興化金應元書

と刻まれている。
鄭文英の墓は1979年に再発見され、その後整備されて、1995年には江蘇省文物保護単位の指定を受けている。

以上の記述は、主に比嘉実『「唐旅」紀行―琉球進貢使節の路程と遺跡、文書の調査』(法政大学沖縄文化研究所・沖縄研究資料16、1996)、pp.100-103 及び松浦章「清乾隆五十七年貢期の琉球進貢と鄭文英の客死」(『南島史学』51、1998)、pp.1~13 を参照しているが、その他にも関連の文献は複数あり、その知名度は比較的高いと思われる。
ただし、この史跡を見るためだけに淮安市に足を運ぶことができる人は限られているだろうから、その意味ではやや敷居の高い琉球史関連ポイントと言うべきかも知れない。
ネット上の情報としては、中国側の観光情報サイトを除けば以下の二つしか見つけていないが、特に後者のサイトでは2006年1月時点での写真が掲載されており、さらに整備されてきれいになっている様子が見て取れる。
  『うさぎの部屋』>中国の部屋>遣唐使文庫>淮陰県図書館
  『連雲港で過ごした半年』>第2部 5.淮安に琉球国使節の墓を訪ねる

近年ではここに限らず各所の史跡に手が入れられ、どんどん状況が変わっていく現実があるようで、5年以上前の情報を今さら提示したところでどれほど役に立つかわからないが、私も2001年7月に鄭文英の墓所を訪れた際の写真等をウェブサイトにアップしておいたので併せて参照されたい。
  琉球国鄭文英の墓-GoogleMaps

恐らくは再整備後の写真と思われるが、GoogleMapsでも鄭文英の墓所を肉眼で確認できるというのがすごい。
GoogleMapsのスケールを操作すれば淮安市内、あるいは中国国内での位置は把握できるはずなので、もし機会があってこの近くに行くことがあれば、是非訪れて欲しい。
私も、いつの日か「琉球使節進京ルートの実地調査」みたいなプロジェクトが実現したら、もう一度訪問したいと思ってはいるのだが…誰か、そういうプロジェクトを組織してくれないものだろうか。

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「抜刷拝領」御礼申し上げます

本日、4月以降に拝領した抜刷とその目次をアップしてみた。
4月、5月と学会や研究会がてんこ盛りだったこともあって、予想以上の分量だった。
日付は原則としてその抜刷を受け取った日。
もっとも、今後遡及入力をするに当たっては受領日を確認できないケースが増えそうなので、2007年3月以前の抜刷データは原則としてその論文の発行月を採用することになるだろうが。

研究者同士で抜刷を渡し合うという文化はどのくらい普遍的なものなのか、私にはよくわからない。
ただ、隣接分野も含めて研究成果にアクセスしやすくなり、敷居が低くなるというのはありがたいことである。

他の研究者のウェブサイトでは受領した論文の書誌データをアップしているところがいくつもあるが、純粋に書誌データを知ることができるだけでなく、その研究者の活動範囲や視野を知る上でも興味深い。
このブログでは拝領した抜刷の書誌データに加えて、目次データも載せることにしようと思う。
さらに内容紹介や短評などあればなお有益なのだろうが、さすがにそれは荷が重いし、誤読などあれば著者にご迷惑がかかる。
この程度の情報で役に立つことがあるかどうか、今は定かではないがとりあえずこれでしばらくやってみたい。

で、こうして抜刷を整理していると、別の意味での効用、というかプレッシャーもかかってくるわけで…。
私のような人間でも、〆切というものは情け容赦なくやってくるものなので、今抱えている分だけでもかなりの量にはなると思うのだが…。
まずはスケジュールの緊迫している7月を乗り切らねば。

なにはともあれ、抜刷をくださった方々には、心より御礼申し上げます。

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