西尾賢隆「蘭渓道隆の四六文」/「建長寺の鐘銘」2007-05-31 Thu 23:45
西尾賢隆「蘭渓道隆の四六文」『文藝論叢』第68号、2007年3月、pp.158-179
はじめに 一 常楽寺語録 二 建長寺語録 おわりに 西尾賢隆「建長寺の鐘銘」花園大学『禅学研究』第85号、2007年2月、pp.119-138 はじめに 一 建寧寺語録 二 建長禅寺鐘銘 三 最明寺開堂小参 おわりに スポンサーサイト
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橋本雄「室町政権と東アジア」2007-05-26 Sat 23:45
橋本雄「室町政権と東アジア」(2006年度日本史研究会大会個別報告)『日本史研究』536号、2007年4月、pp.19-40
はじめに 第1章 室町幕府外交における国書改竄問題 (1) 国書改竄・偽作問題の重要性 (2) 室町期における国書の改竄・偽作事件 第2章 外交称号と対外観・国際意識 (1) 自称文言「日本国王」号を室町幕府は使用したのか? (2) 自称文言「日本国源某」に見える伝統的対外観 (3) 瑞渓周鳳は「日本国王」号の「王」字を故意に削ったのか? おわりに |
大阪大学歴史教育研究会 第15回例会/海域アジア史研究会2007年5月例会2007-05-26 Sat 13:30
※参加申し込み・問い合わせ先については以下のリンクを参照のこと。 ※ 今回の例会は、大阪大学歴史教育研究会と海域アジア史研究会の共催。 |
中村和之「李志恒『漂舟録』にみえるアイヌ語について」他二篇2007-05-23 Wed 23:45
中村和之「李志恒『漂舟録』にみえるアイヌ語について」『北海道民族学』第3号、2007、pp.22-28
はじめに 1 李志恒『漂舟録』が伝える漂流してから松前着までの顛末と日本側の記録 2 『漂舟録』にみえるアイヌ語の検討 2-1 アイヌ語の地名 2-2 蝦夷通事から教えてもらったアイヌ語 2-3 堯老和那という植物名 おわりに 中村和之「李志恒『漂舟録』にみえる「石将浦」について」『帯広百年記念館紀要』第25号、2007、pp.1-8 はじめに 1 李志恒『漂舟録』が伝える漂流してから松前着までの顛末と日本側の記録 2 『漂舟録』にみえる石将浦についての考察 3 資料に現れる石狩の検討 おわりに 中村和之「李志恒『漂舟録』にみえる「羯悪島」について」『史朋』第39号、2007、pp.1-6 はじめに 一 李志恒『漂舟録』が伝える漂流から松前着までの顛末と日本側の記録 二 『漂舟録』にみえる羯悪島 おわりに |
岩井茂樹「清代の互市と“沈黙外交”」2007-05-18 Fri 23:45
岩井茂樹「清代の互市と“沈黙外交”」夫馬進編『中国東アジア外交交流史の研究』京都大学出版社、2007、第十一章、pp.354-390
第一節 互市の遠心性と合理性 第二節 信牌問題と「国の礼」 第三節 1740年のジャワ華僑虐殺事件と互市 第四節 朝貢システムと互市 |
承志(Kicengge)「満洲語で記された「黒竜江流域図」」2007-05-11 Fri 23:45
承志(Kicengge)「満洲語で記された「黒竜江流域図」」藤井譲治・杉山正明・金田章裕編『大地の肖像 絵図・地図が語る世界』京都大学学術出版会、2007、第十章、pp.193-222
はじめに 一 台北国立故宮博物院蔵「黒竜江流域図」について 二 「黒竜江流域図」作製の時代背景 三 データが語る歴史 1 幻の国境碑 2 アイフン城 四 康煕時代からの黒竜江流域の水系視察 おわりに |
杉山清彦「大清帝国支配構造試論:八旗制からみた」2007-05-11 Fri 23:45
杉山清彦「大清帝国支配構造試論:八旗制からみた」『近代世界システム以前の諸地域システムと広域ネットワーク』(平成16~18年度科学研究費補助金(基盤研究(B))研究成果報告書、研究代表者:桃木至朗)、2007、pp.104-123
序 1 八旗制下の支配構造 () 八旗制の構造 () 旗王と旗人の秩序 (a) 旗王 (b) 旗人 () 八旗制下の主従関係 2 清帝国の支配構造 () 中国史・近代史からのアプローチ () 内陸アジア史からのアプローチ () マンジュ王朝としてみた大清帝国の支配構造 小結 |
第52回国際東方学者会議2007-05-09 Wed 02:35
既にあちこちで告知がされているが、期日が迫ってきたので再掲する。
詳細については東方学会の告知を参照のこと。 第52回国際東方学者会議・東京会議 日時:5月18日(金) 10時~ 会場:日本教育会館(神保町駅A1出口徒歩3分) 7・8階
海域史関連のシンポジウムが同時に二つ開かれるというのが悩ましいところではある。 一応事前登録が必要で5月7日〆切ということになっているが、わざわざ平日である金曜日にやってきた人を追い返すようなことはしないはずなので、興味をお持ちの方は気兼ねなく参加されるとよいと思う。 |
バザールとしての琉球史2007-05-07 Mon 00:07
このブログとは別に準備していたウェブサイトの方も、ようやく目処がついた。
まだまだ未完成の代物ではあるが、完璧に仕上がるまで公開を遅らせると何時になるかわからないので、取りあえず仮オープンということにしよう。 リンクの項目にも追加しておいたので、暇な方は御覧いただきたい。 こういうものをつくっていると、つくづく自分が「完璧主義」の人間だということを思い知らされる。 もっとも、自分のつくったものが完璧であると言いたいわけでは、もちろん、ない。 「自分のつくるものは常に完璧に仕上げてから出す」のも、「自分のつくるものは完璧に仕上がらない限り決して出さない」のも、「完璧主義」という点では変わらない。 だが、「出す」のと「出さない」のでは全然違う。 当然、「出さない」のでは話は始まらないが、かといってそうそう「完璧」に仕上げることができるはずもなく、大抵はその間でもだえ苦しむことになるのである。 ただ、琉球史研究というものを考えた時―殊に、前のエントリで書いたような多様な歴史的文脈のクロスオーバーをそもそもの常態とする琉球史研究のあり方を考えた時、「完璧」と言えるようなイメージが果たして存在するのかという問題も、一方で出てくる。 あるいは「完璧」に近いイメージを描くことは可能かも知れないが、そのようなイメージを設計図として琉球史を精緻に組み上げていくというのは、やっぱり何か違うような気がする。 いろんな問題意識を抱える人たちが、自分一人ではうまく加工できない「部品」を各々持ち寄って、ああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねるうちに思いがけない大きな「建物」が出来上がってしまった…という方が、琉球史研究としてはよっぽど「あるべき姿」なのかも知れない。 で、タイトルにあるような「バザールとしての琉球史」という話になるのであるが…。 察しのいい方はおわかりかと思うが、ここでいう「バザール」とは、「伽藍とバザール」を念頭に置いている。 リンク先の原文(山形浩生氏の和訳であるが)はソフトウェア開発の話で専門外の歴史学研究者にはややつらいので、一応Wikipediaの「伽藍方式」と「バザール方式」へのリンクもつけておこう。 もっとも、そういう話を抜きに、単に「バザール」という言葉のイメージだけでも大体のニュアンスは伝わると思うけれど。 |
琉球と海域アジアの歴史研究のために2007-05-02 Wed 23:44
本ブログは琉球及び海域アジアの歴史研究に携わる者の立場から、ささやかな情報発信の場として立ち上げるものである。
ここでいう琉球とは、かつて琉球王国の統治が及んだ領域のことで、現在の沖縄県と鹿児島県の奄美諸島に相当する地域のことを指す。 琉球は19世紀後半に日本に正式に編入されるまでの長きにわたり、九州以北とは異なる独自の歴史を歩んできた。 もちろん、古代より九州以北の日本諸地域とも様々な交流は存在したが、その歴史の営みは旧来の狭い意味での「日本史」に収まるようなものではない。 さらに私が専門にしている琉球王国の時代になると、明や清といった中国大陸の王朝に朝貢し、交易を行い、また王としての冊封を受けるなど、中国史やユーラシア史とも直接に連動するようになってくる。 さらに、中国以外にも日本や朝鮮・東南アジアの各地に交易船を派遣して、東アジア海域と東南アジア海域を結びつける役割を担うことにもなる。 このような広域の歴史的文脈の中で琉球が注目されるようになる一方で、「琉球」と総称される地域の中のそれぞれの島が持つ多様性にも、次第に注意が払われるようになってきた。 宮古、八重山、久米島、奄美、トカラ…それぞれの島嶼域が持つ個性は、沖縄本島を中心にした旧来の狭い意味での「琉球史」の語りに再考を迫るものであろう。 もちろん近年の研究動向は、日本史であれ中国史であれ、スタンドアローンな存在に留まり続けることを許さなくなってはいるのだが、琉球史の場合、そもそものあり方としてスタンドアローンではあり得ないという点で一線を画しているように思われる。 つまるところ、琉球史研究とは多様な歴史的文脈のクロスオーバーとして発展し続けるのが本来の姿、常態なのだろうと思うわけである。 しかし、そのようなことは言うが易く、行うは難きものである。 もとより浅学の身とはいえ、手持ちのささやかな情報を発信し、同時に上記の問題意識を巡る試行錯誤の姿をさらすことで、一歩でも半歩でも前に進めないものだろうか? そんな想いが、本ブログの根底には流れている。 そもそも私は琉球史研究を行う場所という点では外れも外れ、中心からほど遠いところにいるので、さしたる情報も持ち合わせてはいないが、様々な視点をお持ちの方々と意見を交わす中で、琉球史の姿を模索して行ければ、と願っている。 まぁ、気負ってばかりいても話は進まないので、まずは気楽に始めてみましょうか。 |
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