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歴史研究の日々のよしなしごとについて

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琉球家譜目録データベース

少し前のことになるが、渡辺美季HP琉球家譜目録データベースがリニューアルされた。

「リニューアルされた。」と書くとまるで他人事のようだが、リンク先を見ていただくとわかるように、私も「検索・表示機能については」いくらか(アカデミックでない部分で)お手伝いをしている。
琉球家譜の史料的性格やその価値などといった、アカデミックな解説については渡辺さんにお任せするとして、ここではその「検索・表示機能」についての技術的な面について書き留めておきたい。

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GoogleMapsで見た琉球国・鄭文英の墓所

右下のリンクのところにも挙げているが、渡辺美季さんのホームページで最近、琉球史関連の情報がいろいろアップされている。
コンテンツの一つ一つがそれぞれ充実しており、その公開にかかる労力にはひたすら敬服するばかりである。

その中でも、「中国における琉球関係史跡の紹介」などは琉球史の専門家でなくても面白く読めるものだろう。
ここに記されている内容の多くは恐らく渡辺さんが福州に留学中に調査して回った時のものと思われるが、同じく福州での留学経験があるとはいえ、私にはとてもこれほど充実した内容は書けそうにない。
さらに付け足すことのできる情報と言っても微々たるものだが、その中でも多少は役に立ちそうな情報として、現在の江蘇省淮安市にある鄭文英の墓について書いておこうと思う。

明清両朝への朝貢のため、福州から北京に至るまでの道程を往来した琉球使節の中には、中途で命を落とした者も少なくない。
彼らの墓跡はその多くが琉球使節の入貢地点である福州に残されているが、その他の地域に現存している例は非常に少ない。
その中でも比較的よく知られているものが鄭文英の墓跡である。

鄭文英・大嶺親雲上は、朝京都通事に任ぜられて琉球からの朝貢使節に随同し、乾隆五十八年(1793)冬十一月十四日、北京に赴く中途の淮陰の地で客死した人物である。
淮陰の地は、大運河に沿った清代の交通の要衝であり、琉球使節も北京に赴く際には基本的にこの地を経由したと考えられる。
彼の墓所は現在の江蘇省淮安市淮陰区、廃黄河の北岸にある淮陰区図書館(旧淮陰県図書館)の裏手にある。
鄭文英は病没後当地に埋葬され、朝貢のため往来する琉球使節も折に触れて参拝していたものと思われ、蔡汝霖がその墓前で詠んだとされる漢詩が『北燕游草』に納められているという。
現在見ることの出来る墓碑は民国25年(1936)に重立されたものであり、その碑面には

公乾隆五十八年奉使來貢十一月十四日道卒葬
琉球國朝京通都事諱文英鄭公之墓
此原石半缺民國二十五年里人重立興化金應元書

と刻まれている。
鄭文英の墓は1979年に再発見され、その後整備されて、1995年には江蘇省文物保護単位の指定を受けている。

以上の記述は、主に比嘉実『「唐旅」紀行―琉球進貢使節の路程と遺跡、文書の調査』(法政大学沖縄文化研究所・沖縄研究資料16、1996)、pp.100-103 及び松浦章「清乾隆五十七年貢期の琉球進貢と鄭文英の客死」(『南島史学』51、1998)、pp.1~13 を参照しているが、その他にも関連の文献は複数あり、その知名度は比較的高いと思われる。
ただし、この史跡を見るためだけに淮安市に足を運ぶことができる人は限られているだろうから、その意味ではやや敷居の高い琉球史関連ポイントと言うべきかも知れない。
ネット上の情報としては、中国側の観光情報サイトを除けば以下の二つしか見つけていないが、特に後者のサイトでは2006年1月時点での写真が掲載されており、さらに整備されてきれいになっている様子が見て取れる。
  『うさぎの部屋』>中国の部屋>遣唐使文庫>淮陰県図書館
  『連雲港で過ごした半年』>第2部 5.淮安に琉球国使節の墓を訪ねる

近年ではここに限らず各所の史跡に手が入れられ、どんどん状況が変わっていく現実があるようで、5年以上前の情報を今さら提示したところでどれほど役に立つかわからないが、私も2001年7月に鄭文英の墓所を訪れた際の写真等をウェブサイトにアップしておいたので併せて参照されたい。
  琉球国鄭文英の墓-GoogleMaps

恐らくは再整備後の写真と思われるが、GoogleMapsでも鄭文英の墓所を肉眼で確認できるというのがすごい。
GoogleMapsのスケールを操作すれば淮安市内、あるいは中国国内での位置は把握できるはずなので、もし機会があってこの近くに行くことがあれば、是非訪れて欲しい。
私も、いつの日か「琉球使節進京ルートの実地調査」みたいなプロジェクトが実現したら、もう一度訪問したいと思ってはいるのだが…誰か、そういうプロジェクトを組織してくれないものだろうか。

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バザールとしての琉球史

このブログとは別に準備していたウェブサイトの方も、ようやく目処がついた。
まだまだ未完成の代物ではあるが、完璧に仕上がるまで公開を遅らせると何時になるかわからないので、取りあえず仮オープンということにしよう。
リンクの項目にも追加しておいたので、暇な方は御覧いただきたい。

こういうものをつくっていると、つくづく自分が「完璧主義」の人間だということを思い知らされる。
もっとも、自分のつくったものが完璧であると言いたいわけでは、もちろん、ない。
「自分のつくるものは常に完璧に仕上げてから出す」のも、「自分のつくるものは完璧に仕上がらない限り決して出さない」のも、「完璧主義」という点では変わらない。
だが、「出す」のと「出さない」のでは全然違う。
当然、「出さない」のでは話は始まらないが、かといってそうそう「完璧」に仕上げることができるはずもなく、大抵はその間でもだえ苦しむことになるのである。

ただ、琉球史研究というものを考えた時―殊に、前のエントリで書いたような多様な歴史的文脈のクロスオーバーをそもそもの常態とする琉球史研究のあり方を考えた時、「完璧」と言えるようなイメージが果たして存在するのかという問題も、一方で出てくる。
あるいは「完璧」に近いイメージを描くことは可能かも知れないが、そのようなイメージを設計図として琉球史を精緻に組み上げていくというのは、やっぱり何か違うような気がする。
いろんな問題意識を抱える人たちが、自分一人ではうまく加工できない「部品」を各々持ち寄って、ああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねるうちに思いがけない大きな「建物」が出来上がってしまった…という方が、琉球史研究としてはよっぽど「あるべき姿」なのかも知れない。

で、タイトルにあるような「バザールとしての琉球史」という話になるのであるが…。
察しのいい方はおわかりかと思うが、ここでいう「バザール」とは、「伽藍とバザール」を念頭に置いている。
リンク先の原文(山形浩生氏の和訳であるが)はソフトウェア開発の話で専門外の歴史学研究者にはややつらいので、一応Wikipediaの「伽藍方式」「バザール方式」へのリンクもつけておこう。
もっとも、そういう話を抜きに、単に「バザール」という言葉のイメージだけでも大体のニュアンスは伝わると思うけれど。

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